Why Every Software Engineer Should Write Articles日本語訳・前編

エンジニアは全員技術記事を書くことを習慣化した方がいいぞ

qiitaで大人気のこの記事、こんなに評価されているということは良い内容で、しかも良い翻訳なんだろうなと思いました。

・・・つまり訳も原文もまだ読んでないわけです。
なぜなら面白そうな文章があって、しかも「訳の回答がある」というのはそうあることじゃないし、まず自分なりに訳してみてからこの日本の記事を読んで答え合わせしていけば一石二鳥?なんじゃないかとひらめいたからです。

というわけでまた翻訳記事を書くのですが、
アップした記事は自分なりに書いた後、qiita の記事を見て、致命的に間違っていたところだけ直したものになります。
多分記事よりもだいぶ直訳に近くなると思います。


なぜ全てのソフトウェアエンジニアは記事を書くべきなのか?
ーそしてそれがいかに皆の利益になるかー

高度に複雑化し急速な進歩を遂げている今日のコンピュータサイエンス業界において、技術者たちが複雑なテクノロジーや概念について簡単にまとめた記事を書くことの重要性はかつてより高まっています。

あなたももうご存知のように、技術界隈は大量の新分野や流行り言葉であふれています。そう、ブロックチェーン、マシン・ラーニング、ディープラーニング、データサイエンス、分散システム、量子コンピュータ、ビッグデータ、AR、VR、マイクロサービスとかとかとか。

あなたがどのくらい物知りかにもよりますが、事によると前述の用語全てをあなたは聞いたことがあるかもしれません。ですがそうであったとしても、問題はそれらについてどの程度知っているのか、です。
あなたは完全な初心者に対してその用語全部が何であるかを楽々と説明できるでしょうか?それも高いレベルで、用語の意味を間違って伝えることなくです。

あなたがとても、とてつもなく調子に乗ってない限りは、その答えはNOでしょう。

問題点

今やテクノロジーは日毎光の速さでより複雑に、より多様に成長しています。そしてその新しく生まれてくる全てに着いていくことは加速度的に難しくなっているでしょう。

身の回りの話をすれば、私も優秀なエンジニアになる努力と私生活のバランスを取ろうとする努力の狭間で、正直言って新しい情報に着いて行こうと必死です。しかしそれは忙しいうちには入らないでしょう。現実には私の10倍のなすべきことを抱えている人々がいることを知っています。しかし彼らがどうやって新情報に着いて行っているのか、私にはさっぱりわかりません。

解決法

特定分野の情報を理解して整理し、手早く簡単に理解できるよう簡潔に紹介できる良いライターがより必要とされています。

例を挙げます。私はかつてKubernetes とは何かについて学ぼうとしました。必然的に私はそのドキュメントを開き、それを読み通し始めました。(公式の説明より確かなものは無いですよね?)
しかしコンセプトについて2,3ページ読んだ後、私は自分が何一つ理解できていないことに気が付いたのです。それは恐らく私が悪いのですが、他の同僚とも話してみると、彼らにとってもかなり骨の折れる作業だったと分かりました。

そんな時に私はこの記事(開けなくてワロタ)を見つけたのです。私はこの記事を10分もかからずに読み終え、その後に公式のドキュメントを再び読むとどうでしょう、全てがクリアに理解できたのです。

目を通してもらえたら分かる通り、そのKubernetes についての記事はとてもレベルが高く、それでいて明快な説明と優れたアナロジーを用いた極めて分かりやすい概説を提示しています。もしこんな天下一品の紹介記事が全てのテクノロジーについて書かれていれば、世の技術者たちは何度も何度も同じドキュメントと格闘することなく、たった一日でそれらに精通できるでしょう。

そのような記事は可能な限りの大勢が最新技術に触れる機会を作る意味で業界全体の利益であり、その結果としてその技術全体の進歩を早めることにも繋がるのです。

それを成し遂げるにはしかし、人々にそんなコンテンツを作る労力を割いてもらう必要があります。ではそうすることが関係者全員にとって得になる理由を見ていきましょう。

書いた者が勝ち取るものとは?

しっかりとした読みやすい記事を書く時間は一見、書く者がその時間を浪費するだけのように思われるかもしれませんが、それは真実ではありません。記事を書くということはそれをする者を成長させる様々な素晴らしい効果があるのです。

知識

もしあなたが何かを簡潔に説明できないならば、それはよく知らないのと一緒だろう。(出展不明)

私もこれは陳腐な決まり文句だと思います、しかしあまり詳しくないトピックについて説明しようとした時にあなたはこの文がいかに的を得ているか気付くのです。個人的にも経験があって、、ある記事を書く際に私は多くても丸一日くらいで書きあがるかなと思ったものが、ほとんど一か月を要したのです。いざ書き始めてみて、自分がいかに色々なことを分かった気になっていただけだったかに気付きました。そしてしばらくしてみると、私のブラウザには読まなければいけないソース記事がタブ20個も開かれていたのです。

高いクオリティの記事を書きたいと願うからには、その内容全てが正しいものになるように検証し、確認することが何より重要です。(あなたの名誉が掛かってますからね!)そうなると記事はその一行一行を書くにもあなたを悩ませ、そのコンセプトに対する深い理解を要求するでしょう。

しかし書き終えてみれば、記事を書くことによってトピックの概念がしっかりと頭に定着して、完璧に理解できていることを私は実感しました。これが記事を書き続ける強いモチベーションになっています。もう最近では、知っていることでも記事を書かないと理解出来た気がしないですね。

達成感

貢献して、そして感謝されることを嬉しく感じない人はいないでしょう。

極微力でも人々の助けになっていることが感じられれば、人生に充足感が得られます。記事に肯定的なコメントが付いた時はいつもハッピーな気持ちになるものです。

コミュニケーションの上達

コミュニケーションスキルは何事にも必要不可欠です。日常生活において、あなたの考えや意見の正当性を主張しなければならない機会は頻繁にあるでしょう。そして職場では、コンセプトや業務の進め方を他の人々(非技術者も含む)に説明する機会もまた同様でしょう。

これらの能力は書くことを通して必然的に使われます。世界的大企業の一つ、Amazonではプレゼンの代わりに従業員に説明文を書かせます

そういうわけで、自分の考えを練達した文章力で伝えられるということはとても大事なスキルであり、いつでも上達への唯一の道は練習なのです。

もたらされる好機

運が良ければあなたのコンテンツは多くの人々に積極的に読まれるでしょう。そしてそれは、新しい出会い、講演会や仕事の依頼まで様々な機会への扉を開きます。

私など記事を書くことで計り知れないほどの成果を得ています。Kafkaについての記事を書いた時はConfluentという素晴らしい会社の目にとまり、そこで自分のキャリアを大躍進させることが出来ました。記事を見た会社の人が、私を開発チームに招聘したら良いのではないかと考えて面接を申し込んできたのです。プロジェクトは達成され、今私は新しい分野のより挑戦的で、面白い組織に加わっています。

キャリアの発展とは別に、記事を書くことは私を世界中の才能溢れる人々と繋げてくれました。例えば最近はdistributed systemsについての記事で私を知ったとあるエンジニアからのコンタクトを受けました。ちょっとしたやり取りの後、お互いフランシスコの湾岸地域に滞在中だから会おうぜという話になりました。(案内してくれてありがとう、クァン!)

 


後半はそんなに量ないですが、一応ここで区切りにします。

人間関係には“見えない通貨”がある!? 発達障害の営業マン、借金玉さんに聞いた人間関係の生き残り方とは

今日ネットを見ていて読んだこの本の宣伝記事が面白かったので、すぐkindleで購入したのですが物凄く面白くて一気に読んでしまいました。

著者の方はツイッター見てると結構有名な人で、攻撃的なツイートが多いのであまり好い印象が無かったんですが、本自体は軽い語り口の中に役立つライフハックや真摯なアドバイスで出来ていて凄くためになる話でした。

ただ今さっきまたツイート見に行くと、私は文面に含まれる他人に対する不満や悪意みたいなものを圧で感じてしまうタイプなんですが、やっぱザッと眺めただけでちょっとお腹痛くなる感じでしたね。めちゃ褒める感想書くテンション下がりました。
ただこれ想像ですが、自分でも何となくわかる気がするんですよね。相手の欺瞞とか蒙昧さが分かってしまう(主観)と指摘せずにはいられないという衝動に近い欲求。でもそれをして得られるものより摩耗するものの方が多く、その上そういう攻撃的ネガティブ発言が好きな人が周りに集まる。そして自分自身のそういう部分が良くないのは理解している、というのは著書からもなんとなく感じられました。
というか「今の自分をどうにかしなきゃいけない」という痛切な需要がこの本に書いてあるようなライフハックを追及する原動力なんだろうなという逆説的な印象です。

いや、本当に本は良い本なんです。
ただそれも才能の一つなんだと思いますが(障害特性とも言う)、意見の合わない相手も自分の内側に感じて発狂してしまうという意味での自他境界の緩さを感じるので、上手く自意識の中に共存できている「当事者」要素以外について話してるのを見るのはキツイなぁとツイッター見て改めて思いました。

余談:作者の方が自分もその仲間だと書いていた「はちゃめちゃで面白くて、人としてギリギリで、早死にしてしまうタイプ」そのものの友人がいたのですが、私はその人のこと凄く優しいと思っていたし好きでした。しかし一緒にいると疲れるのも間違いなくて、作者の人みたいな「ふと目に入った許せないと思ったものをその鋭い感性でグサグサ刺し出す」的な行動をする人だったので、個人的には作者の人はツイッターの悪印象と著書の好印象は一つの人格として理解出来る気がします。

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